2006年12月10日 (日)

功名が辻49話~「永遠の夫婦」

2006年大河ドラマ『功名が辻』いよいよ終っちゃいましたね。

今回の大河の最後に自分は涙するのだろうかと思っていましたが

 

やっぱり泣きました。

涙が浮かんできたのは、若い頃の千代に戻って浜辺を歩いている幻想のシーン、

先に旅立っていた一豊が千代を迎えに来たところです。

一豊をみつけて千代が嬉しそうに笑って言ったひとこと、

「だんなさま。」と言った時。

    

ここで私の目に、ぷわっと涙が。

 

大河ドラマっていうのは、この時期の最後のココで泣くために見続けるようなところがあります。

人の一生の終焉と自分の一年の終焉が重なるというか、なんというか。

期待はずれでない、いいラストでしたー。

千代はなつかしい小袖を着ていて、一豊におぶってもらうし。

一豊の腕にはちゃんと千代がお守り代わりにいつもむすんでいた布が、ちゃあんとあって。

いつまでも、仲良しであることを視聴者にみせて終ったのであります。 いいなぁ~。

      

   ★   ★   ★   ★   ★

一豊におんぶしてもらって幸せそうに笑って二人が歩いていくシーンでドラマはエンドとなったわけですが、
その前に千代と一豊が初めて出会った川に千代がついたシーンがありました。

 
一話では子役として永井杏さんが演じたシーンを、
なんと仲間由紀恵さんが演じたのであります~。

仲間由紀恵さんの千代が一豊に草履を結んでもらうという演出!

こういったシーンは全く想像していなくて、
「これって撮ったのかな?それとも仲間さんだけ、合成???」なんて
仲間さんの姿に目を見張っていました。

仲間さんに相手が代わってもいても、上川さんの様子は全く一話と同じなんですもん。

しばらくの間、目を疑ってましたよ。嬉しい演出だったけど。

     

で、

仲間千代が一豊に「名は何という?」ときかれて

千代があったかい、一豊を包み込むような笑顔をして 川原の砂の上に書いてある「一豊」の文字のとなりに、「千代」って書いてみせる。
(一話では千代は文字を書いてないんですよね。)

ここはかなりきゅんといたしました。(照れ)
寄り添うようにとなりに書いたのがポイントです。
もういっそのこと、カサも描いちゃえば?みたいな(笑)

ロマンチック2本立てのプロローグ。
川原のシーンも良い出来映えでしたね。

 

私は、もう一豊と千代以外の人のことは書きますまい。

1605  一豊61歳で永眠

1616  千代61歳で永眠

 

一年間お疲れ様でした。

ふとした思いつきで『功名が辻』の感想などを書き始めたのがきっかけで
たくさんのブログでドラマの感想をかいている方々がいるのを知りました。

いろんなかたの『功名が辻』の感想を読ませていただく機会ができた今年は、愉しい一年になりました。

「こんなふうな見方もあるんだな」「そうだ、この方の書いているこのシーンもそういえばよかったな」など
自分だけでは表現しきれなかったものを、いろんなかたのバージョンで読ませていただけました。放送内容に、ちなんだ豆知識や、関連記事を書かれた人もいらっしゃいました。

途中、放送を見逃したり、記事が思うようにかけなかったり、スピードに追いつけなくなる、なんてこともありましたが、
TBやコメントをくださったみなさまのおかげで、なんとか私もゴールすることができました。

そんな、支えてくださった皆様に心から感謝を申し上げたいと思います。

一年間、ありがとうございました。

表現力の及ばないブログではありますが、またご縁がありましたら、
これからも、よろしくお願いします。

        

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↓↓時間の経過がわかりにくかったのでちょっとだけ年表まとめ

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2006年12月 9日 (土)

あららっ。

あらら。違ったのね。

功名が辻で時代設定ミス (日刊スポーツ)

問題のせりふは、3日放送の、秀吉の妻高台院(浅野ゆう子)と千代(仲間由紀恵)の会話中にあった。正しい高台院のせりふは「関ケ原の戦から3年、うちの人(秀吉)が死んで5年」だが、放送では「死んで10年」となっていた。秀吉死去は1598年で、放送シーンは1603年の設定。秀吉の死後、10年ではなく5年が正しい。番組担当者は「言い訳できない単純なミス」と平謝りだ。

 

関が原の合戦があって、一豊が土佐を平定して、千代が高台院のもとに挨拶にきた設定は1603年の設定だったんですね。

「うちのひとが死んで十年」というセリフを聞いた時は
そんなに時間がたっていることだったのかと、思ってしまいましたが

やっぱり間違いだったそうで。(^-^;)

私はそのまま鵜呑みにして、計算する気にもなりませんでした。。。

かなり脳が劣化してるらしいです。しっかりしなくては!

 

今日の再放送は、浅野ゆう子さんの「5年」という声をさがして差し替えたとか。

歴史に詳しいみなさまは、とっくにお気づきだったかも? 

最終回放送の前日に出て来たNHKからのゴメンナサイ話。

 

公式ホームページではサイトの下から2番目、『※訂正』をクリックすると
たいへんつつましい様子で訂正文がでてきます(笑)

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2006年12月 3日 (日)

功名が辻48話~功名の果て

一豊がとうとう倒れちゃいましたね。

って、そこで今回は終ったので、そこから話を始めたら先が続かないわけですが

 

なんでしょうね。今回は感想を書くのが難しいです。

あとは来週の最終回を待つ態勢に入るのみのような。

 

もうココまできたら、家康とか淀とかはどうでもよくて

一豊と千代だけを描いて欲しい、そんな気がします。

でも、今現在の放送では秀吉が死んで、もう10年もたってるんですねえ。

それでも淀は家康は家来!と踏ん張っているようで、

「家来が幕府を開くとは、われには解らぬ!」

たいへんですね。

 

いろいろあって、同じ『功名が辻』の記事を書いている方々に

TBしか遅れなかったり、コメントしか書けなかったりといった状態で

申し訳ない日々が続いています。

最後の最終話にはしっかりとした記事やコメントを送りたいと思っておりますので

最後までよろしくお願いします。

 

て。  みなさま、総集編はどうするんでしょうか?

総集編もやっぱり書きます?(笑)

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2006年11月30日 (木)

功名が辻47話~種崎浜の悲劇

土佐を平定するため、一領具足たちと徹底して戦うことを決した一豊が
信長が好んだ敦盛、『人間五十年』を謡ったシーン。

意外な思いもしたし、「ああ、そうか。」とも思いました。

一豊は昔「お館様はなにを考えておられるのか、わしには判らんようになった」と衝撃を受け、嘆いた頃がありました。
土佐に来た一豊は、あの時の信長と同じような立場に直面してる。
あるいは、決断しなければならない心情になっていることを思わせられるシーンです。

     

人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり。

ひとたび生を得て、滅せぬ者のあるべきか。 

 

天下安寧のための総仕上げが老齢になった自分の力にかかっている。

一豊は、急がなければならなかった信長や秀吉を思い返していたのでしょうか。

 

最終回を含めて、あと二回。「功名の果て」

一豊の死期が近づいてきたようです。

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2006年11月20日 (月)

功名が辻46話~土佐二十万石

土佐の鎮圧に難儀した後、いよいよ千代とともに大阪を離れることになりました。

お参りしてたのはよね姫のお墓だったでしょうか。
なんだかすっかり忘れちゃいましたが、そうなのかもと思いました。

そこに甲賀者の六兵太が一豊に家臣に加えてくれるよう、めずらしく膝をついてお願いをしにきました。

「土佐を平定するために自分を使ってくれ」という願いに千代の助言もあって一豊も聞き入れることになりました。

千代の「山内家への忠義を誓うか?」の問いかけに

「この弾にかけてお誓いします」と手を広げながら答える六平太。

六平太が見せたのは、千代の父を殺した銃弾(千代も同じものを持っている)。

千代を守り抜くという誓いの象徴の銃弾でした。

 

六平太もだいぶ年をとった様子。

いよいよ六平太が命を懸けて千代を守る時が次回にくるらしいです。

来週は悲しくなりそう。

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2006年11月12日 (日)

功名が辻~45話『三成死すとも』

『やむなく敵になった者も味方になった者も、しょせんは仮の姿』

 

そうなんですよね…仕えた殿様の判断で戦場に駆け込む兵たち。
鎧を脱げば、『個』の魂の数々。
戦はただただ生き残るために戦うのみなんですよね。
そのへんを三成はどう捉えていたのかを想像してみると
興味深いです。

 

さて、関が原ではご存知の通り、西軍とよばれる石田三成が敗れ
六条川原で三成・宇喜多秀家・安国寺恵瓊が処刑されました。
『われの代わりに祈って欲しい』と淀に頼まれて千代は三成の処刑場へ。
昔の人は現代の人より死というものがずっとそばにあった、と養老猛氏がよく書いてますが、でも人の首がはねられるところに立ち会うのは、きつそうです。。。

『千代、私のかわりに祈って欲しい』このセリフ、聞き覚えがあるのですが・・・
お市さまもそう言ったことがありませんでしたっけ。私の勘違い?
どなたか覚えている方がいらしたら、教えてください。

そして関が原の合戦での論功行賞。

山内対馬守一豊、土佐一国20万2千六百石

掛川6万石を家康に差出し、利のためにあつまっていた大名たちの心をひとつにしたおかげで、関が原の戦で勝つことができた、

『徳川の礎を作ったのは対馬守である』

そういって家康は一豊の手を握りました・・・。ここの気持ちは見せ掛けではかったと思いたいです。途中までは確かに三成の軍が優勢であり、家康もひやりとしていたのは間違いがないですから。

秀吉も、家康も、信長も。真と計算を行き来していた人だったのではないかなと
今日も思っちゃいました。

  

さて一豊はびっくり仰天した顔で大阪の山内家の屋敷に戻り、この知らせに新右衛門は感無量。
一豊も20万石のむねを書いた書状を天に見せ昔戦死した忠臣吉兵衛の名を叫んでました・・・。
今も吉兵衛の力は一豊の心に生きているってところがまた良いですな。

新右衛門のとなりには、吉兵衛の席も用意されていたのがちらっと映ってました。

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